だって あたし もう おかあさんだから

まだムスメが小さかった頃

なぜか友人たちはマッサージを学んでいて

招かれた友人宅でマッサージしてもらったことがあった

 

それまでの数年来、結婚する前もしてからも

私には友だちが本当にいなくて

夫以外の人にそんなふうに優しく労ってもらったことがなくて

揉みほぐされながら なんか涙でた

 

私自身はと言えば 人を癒すことにはとんと興味がなく

どうしてこんなに冷たい人間なのか?と思ったりもして

 

でも よく考えたら 私もういっぱいやってきたんだった

いつも疲れている母を 頭の先からつま先まで

1時間でも2時間でもかけて よくマッサージしたものだった

それは幼い頃から成人するまで続いたけど

 

結婚してからはそんな機会もなく 母にはよく

「昔はあんなにやってくれたのに」とぼやかれたっけね

でももう その頃には 母には触れたくもなくて

 

だから母が亡くなってからというもの もっとマッサージしてあげれば

よかったって悔やんでみたりもしたけれど

母はもう 揉みほぐさなきゃいけないような重い身体からは

とうに解放されていたんだった

 

だったら もういいじゃん私

癒してあげなきゃいけない母は もういないんだから

母を癒してあげる優しい娘っていう演目は もう終わったんだ

 

だって あたし もう おかあさんだから

 

私を癒すのは 私がやるの

 

だって 私 もう わたしだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく〇〇(だ)から」を自分に使うのをやめる

先日、名駅に行く用事がありました。

そして、せっかく行くなら、前から行きたかった駅前の店で

食事をしようか、とふと思いました。

 

が、その時は、それを食べたい気分じゃなかった。

かといって、次にいつ行けるか分からないし、

そのためだけに日を改めるのも、時間も交通費ももったいない。

 

考えた末、結局、その日は別の店で食べました。

 

「私は今これを食べたい(食べたくない)」という声に素直に従いたかった。

だからそうしました。

 

「せっかく」という言葉は、使いようによっては目下に

対する言葉で、失礼にあたることもあるようです。

(意味は色々なので、使い方や場面、関係性によります)

 

その時はその言葉の意味を知らなかったけど、

私は私を見下したくなかった。お金より時間より効率より、

本当は自分はどうしたいか?その声を聴くことを

大事にしたかった。

 

まあ、実際のところ、食べてみたら美味しかった!って

なったかもしれない。でも、それはそれ。

 

小さなことではあるけれど、こんなふうに

自分との信頼を積み上げていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実を動かそう、たとえ1ミリでも

時々載せる我が家の風景を、褒めていただくことがあります。

(ありがとうございます)

写せるとこしか写しません(笑)引きで撮れないw

 

まあそうは言っても、おおむね片づいているのですよ。

ただ、あくまで私目線なので、実際写真に撮ったら

「いやいやいやいや、これ片づいてるって言えないっしょ」

ってレベルかと思われ。つまりはインスタ映えするような

整い方はしてないってことです。脱いだ靴下が転がってたりw

 

でも私の満足度は高いです。少々散らかっても、どっかの

タイミングで片づけられることは分かってる。安心して

散らかしておけるわけです。この状態を、自分の力で変えられる、

自分でコントロールすることができる、と思えてる。

 

要は、

自分の快適は自分でツクル!

 

「自分で」の中には、「外注」も含まれるかと思います。

いろんな事情で取りかかれないってことはあると思うから。

外注と人任せは違う。外注しようと「決めた」瞬間から

コトは動き出す。

 

そう、大事なのは現実を動かすこと。

自分一人で抱え込んで停滞するくらいなら、とっとと

誰かに助けを求めたらいいんだ。

 

それも嫌なら、目の前に落ちてるゴミをひとつ拾うでもいい。

髪の毛一本でもいい。

そこに置きっ放しのコップをキッチンに持っていくだけでもいい。

(それ私w)

とにかく、現実を動かす。たとえ1ミリでも。

 

この「1ミリでも」というのは以前友人が言っていた言葉。

大きな前進じゃなくていい。ていうかそれだって

最初の一歩から始まるし、一歩も動けないなら

立ち上がるだけでもいい。立ち上がったら、動かざるを得ないよね。

この言葉、すごい好き。

 

現実を動かそう、たとえ1ミリでも。

たとえ1ミリでも、現実は変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、気分よく送り出すためにしていた、たった1つのこと

子育てする上で、心に決めていたことがひとつだけありました。

そう、ひとつだけです。いくつもはムリw

それは、「朝は笑顔で送り出し、夜は穏やかに眠りにつく」

これだけです。

 

何気に難題。笑

しかもひとつじゃなかった(≧∇≦)

あくまで目標です。達成できたかはまた別w

 

…なんですけどね。

けっこう出来ていたかなとは思います。

(↑出来ているところに(都合よくw)注目する)

 

そのためにしたことは、

起こす時は淡々と。(叱ったり怒鳴ったりしない)

掛け布団がずれていたら掛け直す。(布団を剥がしたりしない)

起きないなら何度でも。ただし淡々と。

 

「目覚ましで自分で起きる」はまた別のタスクなので、

私はそこにはこだわりませんでした。

起きればよし。時間に間に合えばなおよし。そんな感じ。

ちなみに「淡々と」というのは、「○○ちゃん、○時だよ」と

ひたすら時報になることです(爆)

 

そして出かける時には玄関まで行って、エレベーターが

降りて見えなくなるまで笑顔で手を振ってお見送り、

というのが一連の流れでした。

 

で、そんな毎日を過ごした現在のムスメの状況はというと、

寮でどうしてるのか正直分からないんですが(笑)

バイトのために帰省する週末は、自分で目覚ましをかけて起き、

自分で朝食の準備をして出かけています。

私が起きられないので諦めている模様w

 

なぜそこまで朝と夜のご機嫌にこだわったのかといえば、

低学年の頃に学校をしばしば行き渋っていたことから、

「ムスメは学校でとても頑張ってきているんだな」と

感じていたからです。だから、せめて家ではゆったり

リラックスできればいいなと思った。そのために出来ることを

模索した結果そうなった、という感じです。

 

幸いなことに私自身に朝余裕がありましたし(物理的に)、

ひとりっ子だから出来たことだろうなと思うし、

私が自身に課したその目標が、功を奏したのかどうかは

正直なところ分からないです。

 

ただ、そうであってもなくても、子どもはいずれ自律していく、

ということが信じられるかどうかなのかな、とは思います。

 

 

 

 

 

 

「私、運動が苦手なんです」問題についてのぐだぐだ

昨日、学童で関わっていた子と久々に再会した。

親友と一緒に、「何して遊ぶ?」と相談しているところだった。

遊ぶ相談で時間切れとか、小学生あるあるっぽいなあ(笑)

 

色々話す中で、親友の子が「走るの遅いんだよね」という話に。

「小さい頃(幼稚園くらい)はそれに気づかなかったんだよねー」とも。

子どもであっても、自分を客観的に見る目を持っているのだなあ。

 

幼稚園くらいの頃は万能感のようなもので満たされていて、

いろんなことにトライしていくうちに、

「自分には(今はまだ)出来ることと出来ないことがある」という

ある種の挫折感を経て、適切な「有能感」に変化していくのかな…

と思ったりした。

(専門家じゃないので分かりません。あくまで私見)

 

とはいえ、挫折感を味わったまま、適切な有能感を持てないのは

残念だなあ、とも思う。

 

例えばムスメは運動が苦手だと言っているけど、

体力テストの結果を見ると、寮でコツコツやっている腹筋が

効いているようで筋持久力はぐんと上がっているし、

駅からバイト先まで徒歩20分の距離を厭わず歩く。

 

スポーツで言えば、一時期一緒にやっていた卓球は

回を追うごとに上達していたし、

なんならスノボも得意だ。

スノボの腕前は見たことがないので分からないが、

斜面を滑る技術だけじゃなく、リフトに乗ったり降りたり出来ることも

運動能力のひとつと私は思う。

 

ムスメが何を根拠に「運動が苦手」と言うのかと言えば、

運動といえば50M走や鉄棒(逆上がりとか)、縄跳びやマット運動などを

思い浮かべているからではないかと思う。

「苦手な種目がある」というだけで、「運動そのものが苦手」と

思い込むのはとても残念だ。

 

…なんてエラそうに言っているが、私にはムスメをスケート嫌いに

させてしまった苦い経験がある。

あの頃の私は「苦手は克服すべき」という価値観を持っていた。

自分が「頑張って苦手を克服した」経験があったからこそ、

ムスメにもそれを押し付けようとしたのだろうと思う。

完全に逆効果だった。ああ、あの頃の私よ…(苦笑)

 

これは、ムスメが「スケートが出来るようにならなかったこと」や

そのための関わりがまずかったことを嘆いているのではなく、

「もしかしたらスケートを楽しんでいたかもしれない人生」を

ムスメから奪ったことを悔いているのである。

 

まあそれでも、スケートを嫌いなまま生きるのか、

何かのきっかけでやるようになるのか、それすらも

ムスメが選んで生きていくのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近況です

お久しぶりです。

簡単に近況を。

 

全寮制の高校に通っているムスメが夏休みで帰省し、

久々に家族3人の生活が戻ってきました。

 

ムスメはバイトを始めました。

夏休み、かきいれ時とあっていきなり忙しかったようですが、

それなりに戦力になっているようです。

 

それ以外は基本インドア。笑

相変わらずです。

インドアなのは私も一緒ですが…

ムスメの方がよっぽど働いてるw

 

私はというと、スマホ依存気味だったのでしばらくシャットアウトして

本も読まず、なるべく予定も入れず人にも会わず…と

引きこもり生活をしてました。ましたっていうか現在進行形。

久々にFB巡ったらやっぱり疲れた。もうしばらく休みます。

 

8月の最終週から学校が始まりましたが、毎週末バイトしに

帰省しております。バイト代、交通費に飛んでいってる(^◇^;)

月イチで1週間まとめて休みがあるので、そこで挽回するそうです。

そして挽回したらしたでまた趣味につぎ込むのだろう…

まあ好きにおし。

 

そんな夏でした。おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生とともに作る温かい場。クラス会議セミナー

年1行われている、クラス会議セミナー。今年も参加しました。

先生と保護者が、対立し合うのではなく、温かい雰囲気の

中で話し合い、学び合う場所。

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開催当時は皆学び始めたばっかりだったけど、

今年は実践報告もたくさんあって、その中で先生が課題に

感じたことを皆で共有してクラス会議形式で話し合い、

解決策を見出していく、ということをしました。

 

自分が課題だと感じてることを、皆が真剣に考えてくれる。

それってすっごい勇気づけ。

これがクラスで行われたら、子どもたちも

勇気に満ちて生きていけるに違いない、そう感じました。

 

今日は「アウトプットが良質なインプットを生む」、と学んだので

フェイスブックには参加者の感想やレポがいっぱい上がると思う(笑)

インプットとアウトプットのバランスについては、

大人になってから学びの場に足を運ぶたびに言われたことだけど、

 

子どもたちはどこで、どんなふうにアウトプットしてるん

だろうなって、ちょっと思った。

なんのために学ぶか、長期的な目標も必要だけど

(たぶんそれも分からないだろうけど)

短期的な目標も大事だよね。細分化ってやつだよね。

小さいことは大きいこと、っていうね。

 

やる気スイッチはどこ?なんて言うけど、

やる気の問題じゃないよなって。

 

こないだ、ママーズの宿題で

「先生にクラス会議って何?って訊かれたらこう答えよう」

っていうのを皆で考えて、実際にクラス会議のことを知らない人に

説明してみよう、ってなお題が出て、聞きたいって言ってくれた人に

片っ端から話してみたんだけど、

 

ママーズで数年かけて学んできたことを、数日でインプットできたっていう。笑

 

おそるべしアウトプットのチカラ。

今までいかに受け身で学んでたかを思い知りました。

 

お昼の休憩のときに、先生方の現場のご苦労について
色々聞かせていただいて、そして思いの外学校に積極的に
関わろうとする保護者に対して好意的に見ていただいてることも
知って、自分の出来ることに思いを馳せました。

 

クラス会議のこと、知らない人っていっぱいいるんだなって

宿題やってみて思ったので、もっと知ってもらって、

今日の参加者もどなたか言われてたけど、

保護者の間でも「クラス会議いいよね」って雰囲気漂ったらいんでない?

それが外堀を埋めることになるんじゃない?と。

 

もっと友達作らなかんかな…(何気に難題・笑)

 

あとなんかないかな。お友達の皆さん、お知恵をお貸しください。

「見て見ぬふりは出来ない」by一尾さん