考えてもしょうがないけど、でもたまに思うこと

ムスメが小学2年生の頃、一度だけ、学校に行かなかったことがある。

(小学校は不登校ではなかった)

 

確かその時は体調不良で、と連絡した気がするが、

ごめんなさい、ウソでしたw

 

泣く時はトイレにこもって、私の前では決して泣かなかったムスメが、

「今日は行かない!ぜったい行かない!」と泣き叫びながら言ったのだった。

 

ちょうど友達とトラブってた時だったし、もう本人固く決意しちゃってるし、

迷わず休ませたよね。

 

それ以後の日々をあまり記憶してないのだけど、

なぜ休んだのはその日だけだったのか。

 

中学になってようやく「もう行かない」宣言をしたけれど、

もっと早く言えていたら、挫かれない勇気が残されていたろうか。

あの日を境に行かないことを選択していたら、

ムスメはもっと自由に彼女らしく生きられたろうか?

 

学校へ行かなくても大丈夫と思える勇気が、あの頃の私にあったなら。

もしもボックスがあったら使ってみたいよ。笑

 

 

 

 

 

たった1年で辞めた部活が、私の人生を豊かにしている。

ネットニュースで、ブラック部活や部活熱に浮かされる

保護者の話なんかを時々見かける。

皆頑張ってるね。何のために?

 

高校時代、こう見えて(どう見えて?笑)運動部員だった私。

子どもの頃から漫画家を夢見ていたお絵描き大好き女子ゆえ、

家族も当然、私が美術部に入部するだろうと思っていたようだ。

 

が、クラブ紹介で観た先輩のプレイに一目惚れし(女子です)

即日卓球部の門を叩いたのだった。

家族はびっくりしたよね。

まあ私が一番びっくりしたよね。笑

運動はからきしダメだったし、無論卓球の経験だってゼロ

だったんだもんね。

 

で、家族には何故かこっぴどく叱られまして。

結局1年後、アニメ研究部に入りたくて辞めちゃったので

また叱られたよね…( ̄▽ ̄;)

 

今にして思えば、従順だった私の、初めての反抗だったな、あれ。

反抗っていうより、ただただ自分の「好き」に

突き動かされただけだったんだけどね。

 

そんなわけで、卓球はモノにはならなかったけど、

私が唯一得意と言えるスポーツになりました。

 

結婚し、自分の家族が出来てからは、

一家族皆で楽しめるスポーツにもなりました。

 

そういえば、子どもの手が離れて最初に始めた習い事も

卓球でした。

 

今日も、友人たちと卓球やってめちゃくちゃ楽しかった。

 

たった1年で辞めた、あれから30年経った今、

こんなにも私の人生を豊かにしてくれている。

 

始めるも辞めるも、私が決めた。

 

皆頑張ってるね、部活。

何のために?

 

 

 

 

 

 

 

ムスメが高校入ったら、急に地域から宙ぶらりんになった気がする

出産し、育児が始まると、

「社会から取り残されてるような気がする」

とはよく聞く話だ。

 

私の場合はその逆で、それまでは会社と家の往復だったのが、

子どもを通じて地域と触れ合うようになったり、

それまで知らなかった市政や行政について知ったり

関心を持ったりするようになり、

「社会とつながった、自分の世界が広がった」という感覚を

覚えたものだ。

(ママ友とはつながれなかったが・笑)

 

だがしかし、ムスメが義務教育を終え、市外の高校へ入学し、

夫婦2人のフリーダムすぎる日常に慣れてくると(笑)

なんとなくタイトルのように感じるようになってきた。

 

そう、地域とのつながりはあくまで

「子どもを通じて」だったのだ。

子どもが家を離れた今、私は何をもって地域とつながるのだ?

(まあ「地域とつながる」とはどういうことか、はちょっと置いといて)

 

……

考えてても答えは出ない。

まあ、よい気づきは得たと思う。

まだ仕事もしてないし、これから模索していこう。

 

 

「料理やっててよかった」って、言うほどやってないだろって話

昨日、珍しくムスメから、物乞いではないLINEが来た。笑

 

授業で山菜を扱ったようで、授業後自分で作った

天ぷらが美味いと。

 

なんのこっちゃな話だが、おそらく言いたかったのは

本文にもあった「料理やっててよかった」ってことなんだろう。

 

が、

 

ムスメは言うほど料理が出来るわけじゃない。笑

 

小さい頃からお手伝いさせてます、っていうご家庭の

お子さんはやはり料理上手だが、

我が家はそれほど熱心に手伝わせたことはない。

 

なのになぜだか「私は料理が出来る」という、

「根拠のない自信」で溢れかえっているのだ。笑

 

これも想像だが、たまたま手伝ってもらった時に

一緒に楽しくやったとか、ありがとうって言ったとか、

一緒に楽しく食べたとか、それこそ失敗しても笑い飛ばしたとか、

とにかく料理に対して「いいイメージ」を持っているのかなと。

 

どんなことも「勇気さえくじかなければ」

自信につながるのだ、きっと。

 

たまたま料理に関して勇気をくじかれることが

なかったのだろう。ま、それはともかく、

中学生になってからはツクルでの毎日の生活の中で

実際に力をつけていったと思う。

 

ツクルで作る料理は「ハレとケ」で言うたら「ケ」の料理だ。

地味で気取りがなく、なんならいつも美味しいとは限らない(笑)

毎日家庭で作るような料理。

気負いなく、淡々と作っていたように思う。

 

長々と書いたけど、言いたかったのは、

小さい頃は自分がやったほうが早いから、あんまり

料理をさせてこなかった…からと言って、

だからお子さんが料理が出来ないのだ、と決めつけたり

させなかった自分を責めなくてもいんじゃね?ってことです。

 

大きくなってからだと手先も器用に使えるようにも

なるので、安心して見ていられるし(笑)

実際仕事で忙しい親はそんなにのんびり

見守っていられないはずなので。

 

どのみち、いずれは生きるためにはやることなのでね。

結婚するまで包丁握ったことなかった私でも、

アレルギーっ子を育てられたしね。

大丈夫。

 

 

不登校だってグラデーションなのだ

新入生と保護者、それぞれ別の会場で開催された

入学ガイダンスに参加してきました。

 

宿泊付きのカリキュラムでしたが、我が家は

夫の都合もあり宿泊はせず(っていう選択肢もあったので)、

女子寮の生徒の保護者だけが集まって寮母さんと

共に懇談する時間だけ参加。

移動時間のほうが長かったよ(^◇^;)

 

詳しいことは書けませんが、不登校になる事情は

本当にそれぞれなんだなと実感。

なかなかにヘビーなお話もあって、お気楽な我が家は

なんていうか…

 

「ごめんなさい」って思ったw

(なんで罪悪感みたいなの感じなきゃならないんだ( ̄▽ ̄))

 

「それぞれ」の中には、我が家のようなケースや

あえて学校に行かないことを選んだ、「選択的不登校」の

子どももいると思うんだけど、

同じ不登校の子を持つ家族が集まっても、なんていうか

我が家が異質に思えてしまう…

 

まあその辺はなんとなく想像はついていたし、

「我が家は楽しい不登校でした」っていう自己紹介も

どうなんだとも思いつつ(笑)

我が家のようなケースもあるのだ、ってことは

 

我が家が言わなきゃ伝わらないのだ。

 

そういう仲間に出会おうと思ったら、

やっぱり言うしかないんだろうとも思う。

 

不登校の子もいろいろ。

学校に行ってる子だっていろいろ。

全部ひっくるめてグラデーションのようなものなんだ。

 

専門家の介入が必要なケースももちろんある。

でも、その子の全てが「そういうケース」で作られてるわけじゃない。

好きな食べ物、好きな音楽、好きな世界やなんかで彩られてるはず。

一人の子の中を見てみても、やっぱりきっとグラデーションなんだ。

 

不登校に特化した学校の中でも、孤独?を感じずにはいられないけど

先生とも保護者とも仲良くやっているし、

これからもそうしていくつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PTA参加は任意だ。じゃあ「任意」って何だ?

最初に書いておきますが、PTAに参加しない人を

責めているわけではないです。

私はやりたくてやっているし、自分の所属部で

一度も参加出来なかった人について何とも思わないし、

そういう人も大事な部員さんだし、実際そう伝えたし

本気でそう思ってる。

 

PTAは任意参加なのに強制的に参加させられるのはおかしい、

だから私は参加しません、と言うのも正しいと思う。

私もそこはおかしいと思うし、最初は知らなかったから、

そこのところの認知を広げるのも大事なことかと思う。

勇気ある行動で、素晴らしいとも思う。

 

そのうえで、なんかこう、、、、、

いろいろ書こうとしたけどまとまらないのは、

先日のシンポジウムでも明らかになった

「ターゲットを絞れてない」のと同じだなとふと気づいた。

 

PTAの何が問題なのか、については、

その活動って必要?とか、

そのやり方おかしくね?他のやり方あんじゃね?とか、

任意なのに強制参加っておかしくね?とか、

じゃあPTAは無くなってもいいの?とか、

そもそもPTAの存在意義は?

PTAの目的は?

それってPTAじゃないと出来ないことなの?

などなど、色々だと思うのだ。

 

任意だから参加しません、というのは

「任意なのに強制参加っておかしくね?」の部分に

絞って行動を起こした、ってことだよね。

 

個人の出来ることは限られてる。自分の出来ることを

精一杯やってるだけだ。

ただ、それだけでPTAの問題点のすべてが解決するわけじゃない。

 

ああー、だいぶ論点ずれたな…

でも書いてるうちにちょっとピンと来たような…

 

ひとつだけ、私がPTAやってみて感じたことは、

まだまだ「ヒマな人のやること」の域を出ていないなということ。

でも実際はヒマなんかじゃないのにわざわざ仕事休んで

来てる人もいるし、望んでそうしてるならいいけど

そうとも限らないわけで。

 

乱暴な言い方かもしれないけど、忙しい人ほど参加して、

出来ないことは出来ないと言ったり、

やる事をコンパクトにしたりやり方を簡易化したり

しないことにはいつまでたっても

「ヒマな人のやること」でしかなく、「PTAって大変」なまま

変わらない、というのが私の実感だ。

 

実際、今年度の会長は単身赴任のため、ほとんど

役員会に参加されなかった。それでも成り立つのよほんと。

 

ちなみに私のしたことで言えば(私一人でやったわけじゃない)

・誰も手をつけないまま代々引き継がれてきた資料を

ごっそり捨てた

・書類の保管期限を決め、誰でも分かるようにした

・必要のないタスクをひとつ減らした

・飲み会断った(笑)

小さいことしか出来なかったけど、

やらないよりかはましだったかなあ。

PTAについて論ずるより、今やってる人、

これからやる人の余分なタスクをまず減らして、

「あ、それくらいならやれるかも」ってものにしたかったんだ。

 

そうしてPTAに気軽に参加してみて、

PTAってこういう感じ、っていうのをまず掴んで、

それから色々考えようよ、って流れになるといいなって。

 

その結果かどうかは分からないけど、

私の所属部の次年度の希望者は他部門に比べて

多かったみたいなので、

「気軽にやれそう」

って思ってもらえたのならこれも成功と言えるかな?

自画自賛しておこうw

 

高校のPTAはどうしようかな。

私、高速運転出来ないからな…まあなんとかなるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学ぶ」とは、「いつも通るあの店、しまむらっていうのか」と気づくことと似てる

幼稚園バスが通る道に、しまむらがあります。

字が読めるようになったムスメが、そのうち

その店の名前を読めるようになり、行ってみたいと言うように

なりました。

 

行ってみたら、たくさん服が置いてあって、

お気に入りの服を買って、

おもちゃも少しあって、買ってもらえなくて(笑)

 

と、いつも通っていた道に、こんな世界があったのかと

知ることになったムスメなのでした。

 

そうやって少しずつ、

「いつも目にはしてたけど、それが何か知らなかったもの」

の名前を知り、実際に触れて体験し…ということを

繰り返してきました。

 

学ぶこと、勉強することも、そういうことなのかなって

最近よく思う私です。

 

今ここにあるものについて知ろうとする。

それが輪のように波紋のように広がって、

自分の世界が広がる。

自分の住んでいる家、地域、国、星…と

どこまでも広げていける。

 

大人の私でも、いつも通る道のあの会社は何をしてる

ところなのかとか、知らないことはたくさん。

 

だとすれば、学びに終わりなんてない。

知らないままでいることも、

どんどん知ることも、

もっと深く関わることも、

自分次第なんだなって思う。

 

ってなことを、「しまむら〜」と指差すムスメを見て

ぼんやり思う私を思い出してハッとする今ここの私。

学びはつながるどこまでも。